FoLoLab vol.5
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熊本に2店舗のとんかつ専門店「勝烈亭」を展開する、「林産業株式会社」。熊本の人は言うまでもなく、県外や海外からも同店を目がけ、連日多くの人が訪れる超人気店。これまで食べログでは熊本県で1位、トリップアドバイザーでは熊本市で1位を獲得し、ミシュランガイドにも掲載されるなど、その実力は周知の事実。今回は同社会長の林憲彦氏と、社長の林憲太郎氏に、経営者としての哲学や人材育成などについて語ってもらった。繁盛する秘訣はないが、繁盛しない要因は沢山ある。その要因をなくすことが大切。3‒ Norihiko Hayashi ‒代表取締役社長林 憲太郎 氏 ‒ Kentaro Hayashi ‒林 憲太郎(はやし けんたろう)1976年生まれ43歳。熊本県出身。子どもの頃は家業を継ぐ意思はなく、船乗りになるべく大学で航海工学を学ぶ。しかし、業績好調の家業を「このままやめさせてしまうのはもったいない」と、後継者になることを決意。大学卒業後、2年限定と定め、まずは大手飲食チェーンに就職しQSCや人材育成システムなどを学ぶ。その後、とんかつ専門店を食べ歩き、学ぶべきところが大きいと感じたお店に自ら訪ねていき、修業。現在の勝烈亭の人気商品となった厚揚げとんかつの技術を習得。家業に入ってからは、社会情勢の変化をいち早く捉え、「今までの路線では対抗できなくなる」と、本物志向への方向転換を打ち立て、改革を進める。それにより、勝烈亭ブランドがさらに高まり、現在の形へと進化することになる。2019年1月には代表取締役社長へ就任。父親である会長の憲彦氏が作り上げてきた歴史を引き継ぎ、さらなる発展を目指している。林 憲彦(はやし のりひこ)1942年生まれ76歳。熊本県出身。父親の仕事の関係で4歳から東京で育つ。大手損保に7年間勤務していたが、飲食店の夢を諦められず大手飲食企業に転職し、飲食店のノウハウを学ぶ。「今後、日本は肉食の時代が来る。まずは豚肉だ」と考え、和食店で一か月間、無給でとんかつ料理を習得。1975年、32歳で独立。父の実家がある熊本でとんかつ専門店「勝烈亭」(12坪・18席)をオープン。その後も、東京の有名店「三金」に飛び込みで修業するなど必死に腕を磨く。数年後には売上が爆発的に増え、「新市街本店」は、1983年、2002年、2016年の3回にわたって全面改装し規模を拡大。1991年には「大劇店」をオープンし、2010年に「南熊本店」として郊外へ移転。2002年にはハンバーグ&ステーキの「フォンターナ」をオープン。(熊本地震のため現在は閉店)創業以来、無借金経営で自己資金を貯めていたため、熊本地震後、早急に修復工事ができた。昨年、憲太郎氏の社長就任に伴い、現在は会長となる。今月のオーナーインタビュー林産業株式会社代表取締役会長林 憲彦 氏
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