FoLoLab vol.7
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3北九州、福岡、熊本、東京に直営店15店舗、FC3店舗の飲食店を展開する「太陽の船株式会社」。焼肉業態をベースに、マグロ専門店や餃子屋なども展開。出店する店舗すべてが繁盛店となるなど、その経営手腕に今注目が集まっている。社名の由来となった社長の出身地の偉大なアーティスト、長渕剛の曲「太陽の船」の歌詞のように、荒波を越え、幸福を追求するために皆が団結し進んでいく強固な組織体制を実現。なぜ、そのような理想のカタチができたのか?そこには同社代表取締役社長大津昇平氏が抱き続ける果てしない志があった。100億円企業を叶えるまでは決して諦めない。北九州の有名焼肉店でアルバイトをしたのがきっかけです。当時は典型的ダメ人間でしたが、お金持ちになりたいという欲望はあったので、将来は焼肉屋の大将になろうとアルバイトを始めました。そこで鍛えられましたね。必死にやっていたら店長に抜擢してもらい、店舗運営、チーム作りなど、お店の回し方を一通り経験させてもらいました。私が店長だった頃、アルバイトの男の子から「店長って本読みますか?」と聞かれ、「読まんよ」と返事すると、「本を読まなくても店長になれるのですか!」と小馬鹿にされてしまって。そこで彼が「どうせ読まないと思いますが、良い本なので貸してあげます」と。それで私も腹が立って、彼をギャフンと言わせるぐらい完全に理解するまで読んでやろうと、一週間で7回読みました。その本がSBIホールディングス社長めに働くのか」。それからです。脳みその中がガラッと変わって、その出来事が本当の意味での転機となりました。北尾吉孝氏の「何のたこの世界に入った経緯は?大津 昇平(おおつ しょうへい)鹿児島県生まれ、43歳。父親の仕事の関係で10歳まで姫路で過ごし、その後北九州へ。学生の頃はヤンチャだったこともあり、高校は3校、計4年間通う。専門学校へ行くもバイトに明け暮れ、中退。パチスロに熱中していくことに。そんな日々を過ごしていたある時、友人と焼肉屋で食事をしていると、店主らしき人物が目に入り「俺でも焼肉屋だったらできるかも!」と、翌日求人案内を買い北九州の有名焼肉店へ面接に。そこで約8年間、アルバイトから店長までを経験する。その後31歳で独立。2008年、焼肉「菜好牛」を開業。「マグロ専門店 気晴れ屋」「まぐろやナポレオン」「焼肉店 にくまる」「肉バル ビーフマン」「餃子のたっちゃん」など北九州、福岡、熊本、東京で直営店15店舗、FC店3店舗を展開。‒ Shohei Otsu ‒今月のオーナーインタビュー太陽の船株式会社代表取締役 社長大津 昇平 氏
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