FoLoLab Vol.9
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熊本市内で人気の居酒屋に勤めていた息子の要望で、2店舗目「居酒家之助」をオープンすることになりました。八代を代表する居酒屋にするという目標を掲げ、こだわりを持って作りました。おかげさまで連日多くのお客様に来ていただいて、ものすごく反響がありました。ただ、一気にお客様が増えて従業員を増員したため、教育のやり方など全くわからないまま、今では考えられないようなシステムで営業していました。あの状況下で本当にみんな頑張ってくれたと思いますね。そして一年後には3店舗目となる「山本食堂」をオープンしました。金之助はリーズナブルで大衆的な雰囲気ですが、お客様の中には落ち着いて和食を味わいたいという声があったので、その想いをカタチにしたお店を作ることにしました。このお店もすごく賑わいましたね。いずれは八代エリアの外で勝負したいと思っていたので、まずは松橋町にオープンすることにしました。ここではびっくりするぐらい毎日ランチタイムからずっと忙しい状況でした。昼から夜への営業システムが出来上がっておらず、従業員にはとても過剰労働をさせてしまい、本当に無理な営業をやっていたと思います。結局、この店舗は地震後の水害で床上浸水したきっかけで閉店することになりましたが、松橋店を出したことで初めていろんな業者さんが営業に来られるようになり、多くの情報が入ってきました。おかげで熊本市内にお店を出すことができました。熊本市内初の店舗は熊本駅内でした。すごく無駄が多すぎて一年間は赤字でした。でもその一年でいろいろわかってきて、その後は赤字分以上に利益を出すことができました。場所によってお客様のニーズが全く違うので、戦い方を変えなければいけないということをここでは学びました。今度は熊本の街中にも出店する話が来たので街中にもオープンし、それから、光の森店、大津店と立て続けにオープンしました。光の森や大津は、八代と似ているエリアなのでうちの得意とする店舗展開になりました。セントラルキッチンを設置したことが    金 4きっかけです。セントラルキッチンによって、大量に一括仕入れして、加工して各店舗に出すことによって、各店舗の仕事の軽減が可能となります。これからは必ず中食のニーズが高まってくると考え、セントラルキッチンを活用し弁当屋をしたいと思っていました。外食はお客様を待っておかなくてはいけないのですが、宅配であればこちらから仕掛けることができます。今まだ始めたばかり店舗展開について聞かせてください八代エリア以外に進出したきっかけは?熊本市内ではどうでしたか?宅配・仕出しのサービスを始めた理由は?お客様どうこうと言う前に、会社の姿勢や従業員がどうあるべきかが重要。石窯焼き風手打ちのピッツァなどイタリアン・バール・メニューが人気の老舗店「肉バル×PIZZA そうせき」。新熊本駅のイタリアン「地中海食堂 そうせき」。金之助 第1号店。京の町家の風情「居酒家 金之助 八代」。

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