【福岡2021インタビュー produced by 福博ツナグ文藝社】第2回 テーマ「バンドネオン」

【福岡2021インタビュー produced by 福博ツナグ文藝社】第2回 テーマ「バンドネオン」

2021.9.9

ゲスト:川波幸恵さん
(バンドネオン奏者)

福岡市在住の “街と人をつなぐ” イベントコーディネーター・ライター 西山健太郎(非営利団体福博ツナグ文藝社 事務局長兼編集長)が、各界のスペシャリストをお招きして、現在の活動やこれからの展望についてお話を伺う【福岡2021インタビュー】。

第2回のテーマは「バンドネオン」。ゲストにバンドネオン奏者の川波幸恵さんをお迎えします。

まずは、バンドネオンという楽器についてお伺いしたいと思います。

バンドネオンはアルゼンチンタンゴの伴奏に欠かせない蛇腹楽器で、もともとはドイツでパイプオルガンの携帯版として開発されました。開発者のハインリッヒ・バンドの名前と、仕組みが似ている楽器・アコーディオンの語尾を組み合わせて、「バンドネオン」という名称がついたそうです。

バンドネオンには、右に38個、左に33個、合計71個のボタンがついており、そのボタンを押しながら蛇腹を開いたり閉じたりしながら音を出します。ボタンはバンドネオン内部のリードとつながっており、蛇腹の開閉によって送り込まれた空気によってリードが振動することで音が出ます。ハーモニカと同じ原理ですね。

また、同じボタンを押していても、蛇腹を開いたときと閉じたときでは別の音が出ることや、鍵盤と違ってボタンの配列に規則性がないことなど、他にはない特徴を持つ楽器です。

川波さんがバンドネオン奏者を志したきっかけについて教えていただけますか?

音楽大学受験を控えた高校3年生の冬に、たまたまつけていたテレビ番組でバンドネオンの演奏を目にしたのがきっかけです。

幼少期よりピアノを習っていて、友人と一緒に遊ぶ感覚でなんとなく続けていたら、高校の音楽科への進学が決まり、その流れで音楽大学を受験することになった、というのが当時の私の状況で、思春期ならではの「自分は一体どこに向かっていきたいのか?」いう自問自答、将来への不安、受験へのプレッシャーといったものが頭の中に常にありました。

そうした状況下で、テレビから流れてきたバンドネオンの音色と、歯切れの良いリズムに、「私がやりたいのは、これだ!」という衝動に駆られ、その楽器を通して自分自身を表現したいと強く思いました。そして、半ば諦めていた東京の音楽大学のピアノ専攻科に奇跡的に合格し、そこから大学でのピアノのレッスンと大学外でのバンドネオンの修行を掛け持ちする生活が始まりました。

大学卒業後、バンドネオン奏者として活動する中で、何度も挫折を経験されたそうですね

自分の技術や演奏環境などの面で、思いどおりに演奏できない苛立ちから、過度なストレスが募り、演奏するのをやめてしまった時期もありました。それでも、いろいろな方が共演を呼びかけてくださり、再び舞台に上がるきっかけをいただくことが度々あり、いざ舞台に上がってみると、お客様からの拍手や共演者とのセッションなどがとても刺激的で、結果として演奏の場へと舞い戻る、ということを何度か繰り返しました。

最大の転機は、2015年にアメリカで行われた第一回チェ・バンドネオン世界大会で優勝したことです。

初代チャンピオンとして恥ずかしくない演奏をしていきたいと、その大会にオーガナイザーとして参加していた、バンドネオン界のスーパースター、エクトル・デル・クルトに「この賞金であなたのレッスンを一年間受けたいです!」と優勝賞金の全てを差し出しました。帰国後オンラインで彼のレッスンを受け、そこでようやくバンドネオンの扱い方が分かるようになりました。それまで誰かの真似をして、いわば気合だけで弾いていたのですが、このレッスンをきっかけに、自分のイメージにグッと近い音を出せるようになったのです。

演奏旅行で世界各国を訪れていらっしゃいますが、印象に残っているエピソードをいくつか教えていただけますか?

ロシアでの出演オファーを受けたときは、あの有名なシベリア鉄道で移動したのですが、乗車した駅にはプラットフォームがなく、地面と列車のドアに渡された梯子のような階段を上って、重いトランクを抱えて乗り込まないといけなくて、往生しました。寝台も狭く、夜中に地震かと思うくらい、ガツーンと衝撃を感じる一旦停止が駅ごとにあり、まったく眠れなかったのを覚えています。

アメリカ・アリゾナ州南部のツーソンという街を演奏で訪れたときには、3メートルを超えるサボテンが至る所に生えていて、自分がこれまでに見ていたサボテンは何だったんだろう、と思いましたね。また、アルバカーキでは、テキサスから来たタンゴも演奏する音楽教室の子どもたちの演奏の中に助っ人で入ったことがあり、あのみんなが高揚して、興奮して、「ユキエ サイコー!」と笑顔で近寄ってきてくれた光景は今でも鮮明に覚えています。「やっぱり音楽って、最高のコミュニケーションツールの1つなんだな」と感じたひとときでした。

2019年の年末には、友人のピアニストが住むイタリア北部の街・クレモナを訪れました。ヴァイオリンの名器として知られる「ストラディバリウス」が生まれた街で、現在も多くのヴァイオリン工房がある街です。彼女と一緒にイタリア第二の都市・ミラノでのカウントダウンコンサートに出演しました。 その会場は日本でいうところの「ブルーノート」のようなお洒落なライブハウスで、演奏中に気づいたのですが、私たちの演奏時間がちょうど2019年から2020年に年が改まる時間帯に重なっていたのです。そこでミラノの地元の皆さんと盛大な新年のお祝いができたのは、いまでも忘れられない思い出です。

国内においても全国各地で演奏をされていらっしゃると思いますが、印象に残っているエピソードをいくつか教えていただけますか?

まさに北は北海道から南は沖縄まで、舞台の規模としても日本武道館やサントリーホールのようなアリーナ・大ホールから、街の小さなカフェまで、様々な会場で演奏してきました。

一番嬉しかった思い出は、広島県福山市の鞆の浦で演奏した際、たまたまその日が私の誕生日にあたっていて、夕食に今まで見たこともない大きさの刺し盛りと山積みのウニが出てきたことでしょうか。その豪華さといったらありませんでしたね。

その一方で、一番つらかった思い出といえば、私を含めて6名の演奏家が楽器と共に1台のワゴン車に乗って、各地を回ったときのことでしょうか。当時の私は、団体行動にはまったくの不向き。友人との旅行でもシングル部屋の方がいいと思っていたほどなのですが、このツアーでは四六時中メンバーと団体行動。宿もうなぎの寝床のようなところに男女6人川の字に並んで寝るといった感じでした。このツアーに参加した当初は、一人になりたくて泣いたこともありました(笑)。

今では、団体行動も苦ではなくなりましたし、またどんな状況にも対応できるような適応力も身につきました。「いかに身軽に動けるか」を極限まで追求して会得した「手荷物を最低限に整理し管理する能力」は、海外への渡航時にはとても役に立ちますし、精神的な壁がなくなったことで、思いもよらない日本の秘境を訪れる機会も得られました。「若い時の苦労は買ってもせよ」というのはよく言ったものだと思います。

バンドネオンという楽器を広く知ってもらうための普及啓発活動にも力を入れていらっしゃいます

構想から6~7年をかけて、昨年ようやく完成したのが、「じゃばら体操」です。
バンドネオンの解説を兼ねた歌詞にタンゴのリズムの曲を合わせた体操で、私自身が作詞・作曲を手がけ、基本となる振り付けも自分で考えました。
この一年間、福岡市内外で開催したコンサートや子ども向けのワークショップなどで披露してきまして、のべ1500名以上の方々が「じゃばら体操」を踊ってくださいました。

最近では、「じゃばら体操」に興味を持った友人が『じゃばら体操普及協会』というタイトルのYouTubeチャンネルを開設して、自撮り動画を続々とアップしてくれたり、企業やお店の皆さんがスタッフ同士の交流に取り入れてくださったりと、じわじわと浸透が進んでいる感じです。

すでにスペイン語の歌詞も完成しており、将来的には、5~6か国語のバージョンをオンライン配信して、世界中に「じゃばら体操」の輪を広げたいと思っています。
また、「じゃばら体操」の替え歌で、振り付けも簡単にした「グーチョキパー体操」や、紙を折ってバンドネオンの形をした箱をつくる「バンドネオン折り紙」なども開発しています。

ピアノやヴァイオリンは子どものころから当たり前に知っている楽器ですが、バンドネオンはそうではないですよね。プロの演奏家の数も日本国内で20名程度でしょうか。バンドネオンという楽器やその曲を未来につないでいくためにも、子どもたちにバンドネオンを知ってもらう活動はとても大切で、私のライフワークとしてこれからも続けていきたいと思っています。

そして、今年はアルゼンチンの国民的作曲家であり、バンドネオン奏者でもあるアストル・ピアソラの生誕100周年にあたる年ですが、先日、素晴らしいニュースが届きました

昨年の夏、福岡市在住のピアニスト・岡直美さん、ヴァイオリニスト・松本さくらさんに私が呼びかけて、「タンゴ三姉妹+」というトリオバンドを結成しました。その「タンゴ三姉妹+」が、今年7月に、ピアソラの祖父母の出身地である、イタリア・プーリア州のトラーニという街で開催されたピアソラ生誕100周年記念の国際音楽コンクールで、なんとグランプリを受賞したのです。

世界各国から演奏家が参加してオンライン審査を受ける形式だったのですが、このコンクールへのリハーサルを通して、クラシック出身の岡さんと松本さんのタンゴへの情熱と意欲が、ひしひしと伝わってきました。そうした情熱や意欲を余すところなく審査員に伝えたいと思い、限られた時間内にどれだけ聴かせどころを作れるか、というポイントを意識して、曲の選択や演奏の仕方を工夫しました。

今回の受賞は「タンゴ三姉妹+」にとっての大きな励みになりましたし、これからの飛躍に向けての大きな一歩だと感じています。また、私個人もバンドネオンソロ部門で3位入賞し、応募して本当に良かったと実感しています。

最後に、川波さんの今後の抱負や夢を教えていただけますか?

私自身、バンドネオンは「縁を繋げる楽器」だと常々感じています。人間の発声と同じ原理で音が出るからでしょうか、人を惹きつけ、貴重な出会いを生んでくれる楽器なのです。
私は、もし建物の中にいるならば、扉の近くではなく窓の近くで演奏していたいですね。通りすがりの人たちが窓越しに音を耳にし、目で興味を持ってくれ、立ち止まってくれたとき、私は窓を開け、この風を送る楽器で外と内側の世界を繋げて、足を止めてくれた人たちに音のプレゼントを贈りたいと思っています。

今後は、「じゃばら体操」を通じて世界各国の人たちとつながりたいと思っていますし、演奏技術をさらに磨いて、世界の舞台でカッコいい演奏ができる日が再び訪れることを期待しています。
そして今は、そうした山の頂に向かって、一歩ずつ地道に進んでいく時期だと考え、地元での演奏会やそのリハーサル、さらには新しい企画などに前向きに取り組んでいます。


――本日は貴重なお話をお聞かせいただきありがとうございました。川波さんの今後ますますのご活躍を期待しています。

【関連リンク】

川波幸恵 公式HP https://yukietango.wixsite.com/mysite

川波幸恵 オリジナル楽曲「ある蝶へのレクイエム」/YouTube動画

じゃばら体操/YouTube動画

※本稿は、毎週月曜夜9時にClubhouseにて配信中の『月9福岡応接間 produced by 福博ツナグ文藝社』を編集・再構成したものです。

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