【福岡2021インタビュー produced by 福博ツナグ文藝社】第6回 テーマ「ヘアメイク」
(HAIR MAKE MOANA オーナースタイリスト)
福岡市在住の “街と人をつなぐ” イベントコーディネーター・ライター 西山健太郎(非営利団体福博ツナグ文藝社 事務局長兼編集長)が、各界のスペシャリストをお招きして、現在の活動やこれからの展望についてお話を伺う【福岡2021インタビュー】。
第6回のテーマは「ヘアメイク」。ゲストにHAIR MAKE MOANA オーナースタイリストで、株式会社ALOHANA代表の安部慎哉さんをお迎えします。
まずは、安部さんが美容師を志したきっかけを教えていただけますか?
美容学生時代の仲間
高校アルバイト時代
私は大分県中津市で生まれ育ったのですが、当時中津市の男子中学生は、校則で髪型が丸刈りしか認められておらず、そうした一律の規範に縛られることへの違和感や抵抗感をずっと持ち続けていました。
高校生となり、髪型を自分で自由に決められるようになり、親しい先輩に誘われて生まれて初めての美容室に足を踏み入れることになります。
まさに青天の霹靂といいますか、目から鱗が落ちるといいますか、その美容室の空間といい、美容師さんがとても楽しそうに、自由自在に髪型を整えていく仕事ぶりにたちまち魅了され、「美容師になる!」という決断するのは時間の問題でした。そして、その美容室で美容師としての仕事を学び始めたい、 という気持ちが芽生えました。
私が通っていた高校は、アルバイト禁止だったのですが、母親が学校に掛け合ってくれ、「そこまで美容師になりたいという強い意思があるのなら」と、特別に許可をもらうことができました。
私の父親は高校教員であり、教育の場でも私生活でもとても厳格な父だったのですが、 私が美容師を志したいという思いを告げると、「やりたい事をやるのが良い。精一杯やるんだぞ」と言って、認めてくれました。そうした両親の後押しがあって、私は美容師になるという夢に向けての第一歩を踏み出しました。
高校卒業後、どういった修行時代を経て独立されたのですか?
東京修行時代
そうしたなか、私自身も「一流の美容師になりたい」という思いが強くなり、就職先は東京を志望しました。
そして単身上京するわけですが、当時の美容師業界は現在とは真反対の買い手市場で、求人がそこかしこにあるわけではなく、自力で勤め先を探す必要がありました。
上京した私はまず、1954 年にヘアサロンを創業し、現在の美容における基本技術を生み出した故ヴィダル・サスーン(Vidal Sassoon)氏に師事した、カリスマ美容師が手がける有名サロンの採用試験を受けました。600 人が受験して 2 人しか採用されないという狭き門でしたが、私は最終 4次試験の 5 人に残ることができました。そこでオーナーの面接を受けることになるのですが、結果は不採用でした。「なぜ、うちの店に入りたいの?」という質問に明確に答えることができなかったのです。ただ「一流の店で働きたい」という願望、 目立ちたい、認められたいという承認欲求を見抜かれていたのだと思います。
その後、友人の勧めもあり、練馬区を中心に当時 8 店舗を展開するサロンへ入店しました。
修業時代につらかったことや心がけていたことなど、エピソードがありましたら教えてください。
アシスタント修行時代のメモ
アシスタント修行時代のメモ
東京での修業時代に一番堪えたのは「手荒れ」でした。繁盛店だったこともあり、お客様のシャンプーを毎日数十回と繰り返していたので、手荒れは避けては通れない道でした。手の痛さと痒さに日々悩まされ、休みの日に皮膚科に通う日々が続きました。
当時の心の支えは、父から届いた「石の上にも三年」とだけ書かれた葉書でした。美容師を辞めるかどうか揺れ動いていた私の心境を察していてくれたのでしょう。
そして3年後、郷里の中津にも近い福岡へ、J ターンして今泉、平尾、赤坂のサロンで働き、技術を磨きました。
一般的にスタイリストになるには、アシスタントを3年程度経験することが一般的なのですが、私の場合は、9年という約3倍もの長い年月がかかりました。
とても厳しい環境の中、精神的にも肉体的にも限界を感じ、「自分には向いていないのだろうか?」「美容師を諦めて他の職を探そうか?」と思い悩み、美容学校時代の親友に相談したのですが、「慎哉だったら絶対できるよ!諦めないで頑張ってほしい!」と励まされ、その言葉に自分自身を奮い立たせ、「一年でトップの売り上げを立てる」という誓いを立てました。
技術面や接客面、そして日常生活の過ごし方に至るまで、日々の動きや考え方を見直した結果、成績が みるみる上がり、11か月目には、7 人いたスタイリストの中でトップになることができました。
このときに美容師としての自らのスタンスに開眼し、「独立してもやっていける」という自信を持ちました。
「HAIR MAKE MOANA」はとても特徴のある美容室ですね。
MOANA外観
MOANA店内
2009年8月1日、30 歳のときに「HAIR MAKE MOANA」をオープンして、今年で 12 周年を迎えました。
「MOANA(モアナ)」とは、ハワイ語で「大きな海」という意味です。
私は、23 歳のとき、初めて訪れたハワイという土地と、そこで暮らす人々に感銘を受けました。明る く、楽しく、そして底抜けに陽気で、いつも笑顔があふれていて、すべてがポジティブ。そうした気質 や気風がとても素晴らしいと感じましたし、街を歩いている人が皆、無表情の日本とは大違いだと驚きました。そして、自分の店を持つときは、ハワイをコンセプトとした内装と音楽で統一感のある空間にしたいと考えていました。
元大関の小錦さんも福岡を訪れた際は、当店にわざわざヘアカットに寄ってくださり、「MOANA はまさにハワイそのものだね」とおっしゃってくださいます。
2020年小錦さん来店時
2020年小錦さん来店時
2020年小錦さん来店時
また、当店が力を入れていることの一つに、ヘアドネーションがあります。ヘアドネーションとは、切 った髪でウイッグ(かつら)をつくり、メディカル・ウィッグ(医療用ウィッグ)として提供する活動 です。本格的に始めたのは4~5年前で、当店のお客様(小学生の女の子)が原因不明の脱毛症にかかってしまい、何かできないだろうかと思案し、ヘアドネーション賛同サロンとして登録しました。
ヘアドネーションとしてご提供いただくには、一般的に31cm以上の長さが必要で、1つのウイッグ を作るのに 20~30 名分の髪の毛を使用します。この数年で、約300 名の方にご協力いただいたのです が、ウイッグにすれば十数個ですね。地道な活動ですが、ヘアドネーションに関心を持ってくださるお 客様も増えており、そうした方々と想いを共有できることは、心が熱くなりますし、美容師としてのや りがいの一つとなっています。
仕事をするうえで、心がけていることはありますか? また、安部さんにとって、プロフェッショナルの仕事とはどういったものだとお考えですか?
自営業は、良くも悪くも自分次第、全部自分の責任です。そうした意味では自己研鑽がとても大事だと 考えており、独立してからは、技術や接客の向上だけでなく、経営学や人生哲学、そして多様な文化ジ ャンルの書物を読んだり、講演会・交流会に出かけたりして、視野を広げ、知識や経験を得ることに努 めています。
経営者としては、「どのようにしたら、個々のスタッフの個性を伸ばし、輝くことができるか」というこ とを念頭に置いて指導と育成にあたっています。また、仕事が終わったあと、スタッフ全員で食事に行 ったり、定期的に息抜きとコミュニケーションの時間を作るようにしています。
ヘアサロンで一番大事なのは、お客様にリラックスしていただく空間づくりだと考えてます。ゆったりした気持ちになっていただくと、コミュニケーションが生まれ、そのお客様の雰囲気やイメージを感じることができます。それをいかにヘアスタイルに落とし込み、形にできるかが、美容師の腕の見せ所だと思っています。そうした環境を作るためにも、スタッフとの息の合った仕事というのは不可欠だと考えています。
「どんな困難な状況でも諦めずに最善を尽くす」。それが真のプロフェッショナルの仕事だと思います。そうした、ネバーギブアップの精神、常に先を目指す志はいつも持ち続けていきたいですね。
最後に、安部さんのこれからの抱負・夢を教えてください。
「ALOHANA」とは、ハワイ語の「ALOHA」と「OHANA」から成る造語です。「ALOHA(アロハ)」は 「あなたと今の瞬間を喜び分かち合いましょう」という意味で、転じて「おはよう」「こんにちは」と言 うときに使われます。また、「OHANA(オハナ)」には「家族」「親しい仲間」という意味があり、「ALOHANA」 には「今の瞬間を喜び分かち合う仲間」という意味を込め、スタッフがより働きやすい環境を整えたい という思いで設立しました。
また私には「ハワイにヘアサロンを開きたい」という長年の夢があり、その夢の実現に向けた準備を 「MOANA」そして「ALOHANA」から進めていきたいと考えています。
――本日は貴重なお話をお聞かせいただきありがとうございました。今後ますますのご活躍を期待しています。
【関連リンク】
HAIR MAKE MOANA 公式HP http://www.hairmake-moana.com/
※本稿は、毎週月曜夜9時にClubhouseにて配信中の『月9福岡応接間 produced by 福博ツナグ文藝社』を編集・再構成したものです。