vol.7 読書の秋 純文の扉を叩く
そろそろ季節も秋っぽくなり、読書意欲が湧いてくる時期ですね(まあ、春だろうが夏だろうが冬だろうが読むんですけど)!
気候がよくて空気が乾いていて、しんとした時間が流れるようなこんな時期に手に取りたくなるのは、何度も読みたくなって、読み返す度に違った感銘を受けるタイプの本です。
こういった本はいわゆる「純文学」と言われるものに多い気がするのですが、そもそも「純文学」ってなんだろう?と今更ながらのことを思い、ちょっと調べると「大衆小説(SFとかファンタジーとか恋愛とかミステリとか)に対して「娯楽性」よりも「芸術性」に重きを置いている小説の総称」と出てきました。(※余談ですが「純文学」っていう分類は日本にしかないそうです。へー。)
一瞬「面白かったらそれはもう純文学ではないのか?」などと考えてしまいましたが、「芸術性」に重きを置いているということはストレートに「面白い!」と思えなくてもなんらかの形で心に残るということ。人の心を揺さぶるのが「芸術」だとすれば、感動させることが前提にあるのでしょう。
そう考えれば、あるある、「面白い」とは素直に言えないけど何回も読み返してしまう、ずっと心に残っている本たち。カテゴライズするのが難しくて、人に紹介しようにもあらすじだけでは良さがイマイチ伝わらない物語。そういえば、たいてい「純文学」っぽい扱いされていたな。
そんな長きに渡って人の心に残るような作品を今回はご紹介したいと思います。超がつくほど有名な作品ばかりなのでご存知かもしれませんが、「純文学」の入り口として個人的におすすめの作品です。
風の歌を聴け・1973年のピンボール・羊をめぐる冒険
村上春樹のデビュー作であり、初期の3部作「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」。※さらにこの続きとして「ダンス・ダンス・ダンス」という作品が出版されています。
主人公<僕>と友人の<鼠>の顛末を描いたこの3部作の中でもイチオシはラストの「羊をめぐる冒険」。
「あなたのことは今でも好きよ」と言い残して消えた妻。耳専門のモデルの新しいガールフレンド。北海道から届いた<鼠>からの手紙を発端に、タイトル通り羊をめぐって思いがけなところへ流されていく「僕」。
こうやって断片的に情報を書いたところで、この作品の場合たぶん何一つ伝わらないのだという気がする。
最初にこの作品を読んだときは高校生だったので、出てくるキャラクターたちの不思議さとか面白さにまず惹かれた記憶がある。いくつかの「謎」があり、皮肉っぽい隠喩があり、サスペンス的要素もあり一気読みして満足していた。
これが年齢を重ねて読み返す度に、なんとも言えない寂しさを感じるようになり、この寂しさはなんだろうと考えるようになった。
「思いを残しながらの別れ」を内包した、「青春の終わり」を感じるから寂しいのかもしれない。主人公自身はそんな寂しさにとらわれるのではなく、自分なりのやり方で区切りをつけて、強がりだとしても軽やかに見えるくらいに淡々と人生を送っていくのがなお一層切ない。
しかしながら「同じ作品を読んでも同じように感じるとは限らない」というところがこの作品の凄みだと思う。実際に読んで自分がどう感じるかが重要で、こればっかりは読まないとわからないのではないだろうか。
この初期の3部作以外でもお勧めしたい作品はいくつかあるのですが、それはまたの機会に。
日の名残り
ノーベル賞作家であるカズオ・イシグロの代表作ですが、この作品はあまり構えずに「ふと」手にとって読み始めるのがおすすめです。なにか気が向いた時に「そういや誰かが良いって言ってたっけ~」くらいの気分で。
舞台はイギリス。ダーリントン卿の屋敷で長年に渡って執事を務めてきた古風な執事スティーブンス。ダーリントン卿亡き後は、屋敷を買い取ったアメリカ人富豪ルイスに仕えることに。
新しい主人であるルイスから休みをもらったスティーブンスは、以前の主人ダーリントン卿にともに仕えたミス・ケントン(今は結婚してミセス・ベンになっている)に会いに行くことにした。今の屋敷では人手が足りないので、旧友ミス・ケントンをスティーブンスは再び屋敷に引き入れるために。
ところが旅をしながら、自分の人生を回想しているうちにスティーブンスは、今まで信じ切っていた自分の行いが正しかったのか疑問を持ち始め、「本当の気持ち」に気づき始める。
極力感情を抑えた筆致ながら、美しいイギリスの田園風景と過去の思い出、スティーブンスの気持ちがぐるぐる巡って複雑で繊細なこころ模様を描き出すその筆力はお見事。
人生の夕暮れに差し掛かった時に自分の人生をどう思うのか、これからをどう生きるのか。
スティーブンスの出した結論は読んでのお楽しみにしておきましょう。
この作品を映像化したらさぞかし美しいものになるだろうと思いつつ読んで、調べたらやっぱり映画化されていた。しかもアンソニー・ホプキンスとエマ・トンプソンで。
ああ、アンソニー・ホプキンス!イメージ完璧。融通がきかなくて不器用で自分の気持ちにもなかなか気づけなくて、ラストでご主人のためにあることを練習しようと心に決める。あの笑っちゃうような、泣いちゃうような決意をするスティーブンスをさぞかし素晴らしく味わい深く演じてくれたことだろう。(まだ見てないけど、死ぬまでには一度見ておきたい)
博士の愛した数式
「僕の記憶は80分しかもたない。」
そう書かれたメモを袖に留めた数学者である博士の元で働くことになった家政婦とその息子、そして博士の3人を巡る物語。
第1回本屋大賞に輝いたこの作品は映画化もされていて、とても話題になったのでこれはご存じの方も多いのでは?
家政婦である彼女の視点で見る博士は、あまりにも悲しい人だった。毎朝毎朝、自分の記憶が80分しかもたないことを突きつけられ、彼は深く絶望する。彼は「慣れる」ということがない。これほど残酷なことがあるだろうか。鋭い知性を持つ博士が、毎朝そうやって自分の記憶能力に絶望するのだ。
毎日「新しい家政婦」として接する博士と、数学を通じて少しずつ心を通わせる家政婦と10歳の息子「ルート」。彼らのぎこちなくも心温まる交流が、静かに穏やかに流れていく。
真っ直ぐな気持ちと愛情と気遣いに満ちた、優しい気持ちになれる作品です。個人的には、いろいろあって疲れてしまった時とか心がささくれた時とかに手に取りたくなるので、「心の風邪の予防薬」的位置づけ(笑)
小川洋子の端正で静かな文体が、ゆったりと心に染みていくのは何度体験しても気持ちいいものです(マニアの発言)。
数学が苦手な人(私だ)でも、なんとなく美しい数学の世界を垣間見ることができるという意味でも名著と言えると思う。
終わりに
静かで心に残って何回でも読みたくなる、そんな本は心の糧になり、人生において錨になります。なにかに迷ったり悩んだりした時にも流されないように支えてくれるものです。
直接的な答えが書かれていなくでも、こういった本を読んで何かを感じて考えたことは、誰にも奪えないあなただけの財産になります。
せっかくの「読書の秋」です。純文の扉を叩くどころか、叩き割ってズカズカ入り込むくらいの気概で本を読む時期と言っても過言ではないでしょう(言い過ぎ)。今回ご紹介した中で1冊でも興味が惹かれるものがあれば、ぜひ一度手に取ってみてください。