『ミュシャ展 マルチ・アーティストの先駆者』熊本市現代美術館 2024年2月10日(土)〜 4月7日(日)
2024年2月10日(土)〜 4月7日(日)まで、熊本市現代美術館にて『ミュシャ展 マルチ・アーティストの先駆者』が開催されています。アール・ヌーヴォーの代表的な画家アルフォンス・ミュシャは、魅力的で自信に満ちた女性を描いたポスターで知られていますが、彼が手掛けたジャンルは非常に多岐にわたります。その中でもデザインの仕事に着目しマルチ・アーティストとしてのミュシャの先駆性が紹介されています。
チェコ在住のズデニェク・チマル博士のコレクションから、劇場ポスター、書籍の挿絵、お菓子のパッケージ、油彩画、水彩画など数々の貴重な作品が一堂に会します。
ポスター「黄道十二宮」1896年 リトグラフ/紙 チマル・コレクション
アルフォンス・ミュシャ Alfons Mucha(1860-1939)
1860年、オーストリア=ハンガリー帝国領 南モラヴィア地方(現・チェコ共和国南東部)のイヴァンチッツェに生まれる。1885年、ミュンヘン美術アカデミーに入学する。1887年、パリでアカデミー・ジュリアンの学生となる。1894年、人気女優サラ・ベルナールの演劇「ジスモンダ」ポスターを手掛ける。1895年、サラ・ベルナールと正式に契約。その後6年間にわたり、ポスター、舞台装置、ジュエリーなどのデザインを担当。アール・ヌーヴォーを代表する作家となる。1900年、パリ万博のボスニア=ヘルツェゴビナ館のデザインを担当。
1910年、チェコに帰国、ズビロフ城をアトリエとする。1911年、《スラヴ叙事詩》シリーズの制作を開始する。1918年、オーストリア=ハンガリー帝国が崩壊し、建国されたチェコスロヴァキア共和国の国章、郵便切手、紙幣をデザインする。1928年、《スラヴ叙事詩》全20点をプラハ市に寄贈。1931年、プラハ城内聖ヴィート大聖堂のステンドグラスをデザインする。
1939年、プラハにて逝去。
展示室に入ってすぐのショート・ムービーではミュシャのことが分かりやすく紹介されています。
出品作品は全169点、内初来日約90点
医師であるズデニェク・チマル博士はミュシャの故郷チェコ共和国モラヴィアに住む個人コレクター。彼のコレクションはミュシャの人生と作品の全体像を示す他では類を見ないものとして貴重です。全169点、そのうち約90点の作品が日本初来日として公開されています。
展覧会のポスターにもなっているミュシャらしさが満載の作品。
ミュシャの栄光への第一歩であるとともに、アール・ヌーヴォーを象徴する女優サラ・ベルナール演じる劇「ジスモンダ」のポスター、そして装飾パネルなどミュシャ芸術の頂点をなす作品群。縦長の枠のなかに描かれる女性の美しさとバランスが素晴らしくてずっと見ていたい気持ちになります。
「メディア」のポスター。モザイク風のタイトルと強い眼差しから目がそらせない。
ミュシャがデザインしたチェコスロヴァキアの紙幣と郵便切手。ミュシャは生活のなかで見ることができたさまざまな商品パッケージを手掛けました。お金をキレイだなって見ることは普段少ないのですが、あらためてデザインを見ると本当に美しくて、いつも自分が目にしているもののデザインにも目を向けたくなりました。
ミュシャは自らの作品を広告に積極的に利用したはじめての芸術家でもあったといいます。ルフェーヴル=ウティール社ビスケット缶のパッケージデザイン。こんなお菓子があったら可愛らしいパッケージにつられて買ってしまう。
実際に箱になった状態とこうやって見るのでは印象が違いますね。
大変貴重なミュシャのオリジナル作品の油彩画。ミュシャといえば…と思い込んでいたものとは全く違う新たな面を見ることができます。
マルチ・アーティストとして、幅広く多彩なジャンルを手掛けたミュシャが自らのアイデンティティと向き合い、その芸術活動を祖国のために捧げる、ミュシャ晩年の重要な作品となる大作《スラヴ叙事詩》のための習作も見ることができます。
充実のミュシャ展限定のグッズたち
展覧会概要
装飾皿「ビザンティン風の頭部:ブロンド」1898年、エナメル塗装/金属 チマル・コレクション
会期:2024年2月10日(土)〜4月7日(日)
時間:10:00〜20:00(展覧会入場は19:30まで)
休館日:火曜日
*( )内は20名以上の団体/電車・バス共通1日乗車券、市電緑のじゅうたんサポーター証、熊本県立美術館友の会証、JAF会員証をご提示の方